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コノフィツムとの戦い(自己紹介に代えて)

コノフィツムとの出会い

 もう随分前の話になりますが、小学生の頃だったかもしれません。どうも、このころ玉型メセンのブームがあったようで、NHKの趣味の園芸で玉型メセンを取り上げていました。詳しい内容や講師の方は忘れてしまいましたが、「生ける宝石」ということで、いくつかの種類を取り上げて、誕生石に当てはめたりして、その映像がとても綺麗だったことを覚えています。なにしろ、今までに見たことの無い姿形の上、脱皮や分裂を繰り返すというのも、植物離れしていて驚きでした。すっかり惚れ込んでしまったわけですが、近所では販売されていなかったため入手することは出来ませんでした。

通信販売

 ある年の秋、「趣味の園芸」誌に藤沢市の紅波園の通信販売広告が載っているのを見て、「これだ!」ということで早速注文しました。なにぶん小遣いも少なかった頃ですから、1品種1品種の高かったこと。それでも数品種注文しました。到着するのが待ち遠しくて待ち遠しくて・・・。それで到着した時には、初めて見る「実物」に驚きを新たにしました。

溶けてしまう

 とりあえず、苗に同封されていた栽培の手引き書に従ってサボテンの培養土を用意し、5号の駄温鉢に植え付けました。株元には小石を敷き万全のつもりです。良く日に当てるようにということで、南向きの軒下に鉢を置きました。やがて冬が来て、「凍らないこと」というので、室内の窓辺に置きました。今考えれば、それが失敗の原因なのですが、日当たりの良い窓辺と言っても、曇りガラスの上、一日2時間程度しか日が当たりませんでした。やがて春が来て、暖かくなるころ元気そうだったコノフィツムが次々に根本から溶けるように倒れて行きました。
 仕方なく倒れた球体を切り取って根本部分を良く観察してみると、まるで茹でたアスパラガスのような透明感のある色に変わっていました。たぶん細胞が壊れているのでしょう。そしてさらに輪切りにしてみると、内部から小さな球体(新葉)が出てきました。これを植えてみましたが、残念ながらこれも溶けてしまいました。その後、次々に溶けてしまい、最終的に名札だけが残りました。

どうしても溶けてしまう

 懲りもせず、翌年また通信販売で数品種を購入しました。手引き書では「根腐れ」が原因ということのようなので、前年より排水の良い土に変えました。たまに殺菌剤なども散布しました。
 結果から言うと、またまた前年と同じ時期に全て溶けてしまい、墓標のように名札だけが残りました。

まだまだ懲りない

 「根腐れ」と言うわりには球体がやられているし、だいたい「腐った」ような感じでは無いし腐敗臭もしない。と、だんだん「日光不足が原因ではないか?」と考えはじめ、屋外の日当たりの良い場所で栽培するためにステンレス製の水槽を使うことにしました。少しでも日当たりの良い場所を求めて、水槽を移動させました。その結果、完全には「溶け」を防ぐ事は出来ませんでしたが、半数以上の株は無事翌秋を迎え、開花させることが出来ました。また、水槽を使うことにより、植え付け直後の湿度を保てば発根も良くなるということも判りました。

問題解決!・・・趣味家にとって必要な情報とは

 数年後、引っ越すことになり、広いベランダが出来たため、畳半分くらいに広さの木製フレームを自作しました。これを日当たりの良い場所に置きました。冬でも、朝から午後2時くらいまで直射日光が当たります。大阪の山城愛仙園からも購入したりしてコレクションが増え、小さなフレームはあっという間に一杯になってしまいました。このころには、春に「溶ける」ことはすっかり無くなっていました。

 結局、数年間悩ませられた「腐れ」の原因は日照不足にあったわけです。確かに栽培の手引き書には「日照を好む」と書いてあり、どちらかというと、夏や初秋の「日焼け」に注意せよとなっています。今から考えれば当然ですが、これらの栽培手引き書は生産者によって書かれたものが多く、当然、元々日照が十分得られる場所で栽培することを前提に書かれていたのでした。趣味家は、そんな贅沢な環境に居ることは少ないですから、どちらかというと「少なくとも○○時間、日に当てる」といった、「定量的」で「必要最少レベル」の情報が必要だったのです。

増える

 溶けることが無くなれば、当然のように増え始めました。最初は2頭が4頭、4頭が8頭という感じで、増殖頭数は少ないものでしたが、やがて16頭、32頭となり、うすうすこれはやばい事になりそうだと感じ始めました。

爆発的に増える
 そうしているうちに、数えることすら出来ないくらいに頭数が増えました。当初数頭増えるのに1年かかったのですが、このころになると毎年100頭単位で増殖するようになっていました。

ちょっと気が抜ける

 やがて就職し、一人暮らしを始めました。小さなアパート暮らしで、ベランダもありませんでしたので、コノフィツム達は自宅に置き、家族の者に灌水を頼みました。開花を楽しむ事も出来ず、だんだん気が抜けて行き、数年が過ぎ去りました。

復活
 結婚して引っ越した先は、4階建ての古い集合住宅でしたが、そこには日当たりの良いベランダと屋上がありました。早速ベランダに棚を作り、ざっと100鉢程度を収容しました。このころになると、頭単位でなく鉢単位で増殖しはじめ、まじめに植え替えしていれば、数年でベランダが鉢で埋め尽くされる計算になってしまいました。事実、ベランダ以外に100鉢程度を屋上に並べることとなりました。あまり人は上がって来ませんが、見た人は「???」だったと思います。

まだまだ増える

 栽培を始めた当初、毎年「溶かして」しまった経験から、増えすぎた株を処分することが出来ず、全部株分け&挿し木してしまうので、最近では鉢も足りなくなり、余剰分の株にはビニールポットを使うようになりました。それでも腐る株は出ず、相変わらす増え続けました。仕方なしに、あまりに小さい株は捨てることにし、それでも余った株は育苗箱にずらりと並べて挿し木しました。鉢よりも育苗箱の方がお好みのようで、球体ひとつひとつが大きく、こちらの方が成績が良いようです。ただ、寄せ植え状態になるので、名前が混乱してしまうおそれがあるのが難点です。

実生をはじめる

 コレクションを集めているうちに、だんだん原種に興味が湧いてきました。その動機は、和名のついた個体の混乱(異名同種、同名異品種、札違い等)から来るものでした。また、メセン類の系統分類、形態的進化や自生地の環境との関連なども知りたいと思い始めました。そのためには産地のはっきりとした原種の種子や株を入手することが必要です。そこで原種名や自生地の情報がある種子を播種することから始めようと思いました。もちろん、先の和名個体と同様の混乱が無いとは言いきれないのですが・・・。少なくとも、戻らねばならない道のりは比較的短いと考えられます。
 なにぶん、実生は環境変化に影響を受けやすく、長期出張中はもちろん、普段の出勤中にも天候の大きな変化やトラブルで枯らしてしまうことが多々ありました。自生地の情報なども文献を頼りに調べるのですが、まだまだ勉強が足りません。

戦いの行方

 コノフィツム出会って(?)から30年、栽培を始めてから25年以上が経過しました。当初、栽培の仕方が良く判らず溶かしてしまったことからコノとのつきあいが始まりました。栽培に関する情報も少なく、「夏越しが困難」「高温多湿な地方では空中溺死する」等の断片的な情報から、腐るのはもっともだと思い、関東地方での栽培は無理と栽培を断念しようと考えたこともあります。当初、失敗に悩まされた栽培も、このごろでは「増えすぎ」に悩まされるようになりました。それでも、開花率や、小型種や基本的に気難しい種の栽培については満足のいく結果は得られていません。まだまだ試行錯誤は続きそうです。

2001年10月(2008年11月若干修正)



→ 上記を書いてから既に7年の歳月が流れました。栽培を始めてから早くも30年以上が過ぎ去り、「若いのに園芸が趣味とは珍しい」と言われた私も、すっかり園芸店に出入りするのが似合う歳になりました。ついつい惰性に流され、マンネリになってしまいがちな私ですが、この7年間には様々な出来事がありました。例えばイギリスの趣味団体や日本のコノフィツム協会に入会したこと。新たな挑戦として植物を輸入したこと等々です。 これらのことは、また改めて「コノフィツムとの戦い」の歴史として書き加えておきたいと思います。

2008年11月